※こちらの記事は、2015年11月に執筆したものです。
仕事で長崎に行った。
キリシタン一揆の島原・天草の乱の島原市にも行く。
島原駅の正面に大きな城が見える。城は戦後再建されたものだが、見事なお堀と4万石の面影を残す。城では青年団が観光客用の催しをする。商店街は無いにひとしい。これだけの城があり、今でも江戸時代の石塀をそのまま残す武家屋敷群があるのだが不便さが観光客を遠のかせるのだろうか。
城は島原の乱で一揆勢の攻撃を受けながら落城せず、一揆勢はすでに廃城となっていた原城に移動し立てこもる。37000名もの百姓一揆となり終結に約4ヶ月かかった。その前半戦の戦場が島原城であるが、その城にキリシタンの遺品が数多く展示されている。それは戦乱当時の遺品だけではなく乱終結後地下に潜り明治まで生き残った隠れキリシタンの数々の遺品である。
お地蔵さんに十字が隠されていたり、とりわけ古田織部の作とされる灯籠にクロスが埋め込んであったりして織部が幕府に切腹させられていたことに納得した。島原天草の乱は何もキリシタンの宗教一揆だけという意味ではないけれども強烈な弾圧を受けた反抗であったことには間違いない。
日本にも本願寺の一向一揆とかの一種宗教戦争もあった。
中近東の宗教戦争に終わりはないしそれが世界に拡大しつつある。
世界中で島原の乱のような宗教戦争の悲劇を経て我々は政治と宗教の分離を取り入れたはずなのに、今でも世界のどこかで宗教を原因として戦争が行われている。
2015.11
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- 弁護士法人 田中彰寿法律事務所 代表。
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