※こちらの記事は、2015年12月に執筆したものです。
広島県安芸高田市に毛利元就の安芸吉田城という山城がある。
舞台は戦国時代前期、元就は子供の頃、親や兄を喪い近くの猿掛城で家老に圧迫されながら過ごす。元々毛利家は鎌倉幕府を創設した頼朝の幕僚大江広元を祖とする。広元は京都の下級公家で頼朝に幕府機構を整備するために呼ばれた。
その後、相模の毛利庄の地頭職を得て毛利姓をなのり、さらにこの地に地頭職として転じ根をおろす。当時、安芸の国は毛利家と似たようなドングリの背比べの諸家がひしめいていた。そこから元就は苦心惨憺安芸国一の戦国大名になる。
中国山脈を背柱にして日本海側に月山富田城があり、尼子氏が戦国大名として君臨していた。月山富田城も難攻不落の山城であった。戦国大名としては尼子の方が数十年早く成立し且つ巨大であった。そして巨大化する毛利氏と中国山脈をはさみ何度も死闘を繰り広げる。
なぜこのような山奥同士で背中を接するように巨大勢力できがあがったのか。
安芸吉田というところは地理的にみれば何一つ他にぬきんでたものはない。
海もなく、農地もさほどではない。
立派な家臣もいない。
毛利家が巨大化したのは元就一人の資質によるところ大のようだ。
諜者を放ち情報をあつめ敵の強みと弱みを把握し彼我の条件を比較する。
勝つための条件をつくり乾坤一擲の勝負を躊躇しない。
健康には留意し酒は全く飲まない。
今小さな存在でも我慢して用心深く努力すれば巨大化できるといういい見本だ。
2015.12
投稿者プロフィール
- 弁護士法人 田中彰寿法律事務所 代表。
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