事務所の孫達と芋掘り大会

私の生まれ故郷が綾部であることは大半の方々が御存知であろう。我が家の歴史は虚々実々の話を取り混ぜて10年前に「八の関ヶ原物語」という小説にした。

その先祖のすんだ地域も、綾部駅から京都よりに一駅手前の山家というところから分け入り人里離れた桃源郷のような、和木村というところである。

 明治までここにすんでいたのだが、明治の初期に屋敷が火事になり村を出て行かざるをえなくなった。山を降りてきて、町沿いの川糸というところに居着いたらしいが、またまた食えずに今の中筋村大字延小字鳥居に流れて来た。したがって、私の生まれは今風に言えば綾部市延町鳥居ということになる。現在では綾部の郊外地域で人気のある住宅地域であるが、小さな家で皆さんがみればよくぞ、田中がこんなところからでてきたと思うだろう。私はかろうじて今でもその地域で我が田中家を支えているのである。

 ついでに言えば、その後先祖調査も進み、ある時わたしが和木村の村おこし後援会に招かれ講師をした。それを期に年に一度、和木の地域の田中系で、アキトシ君を囲んで一杯のむことになった。リキシさんというかたの家でそれはそれは和木村のつわものがあつまる。イノシシの焼き肉料理から、なぜか海で釣ってきたという鯛まででてきて、まるで山賊達のあつまりのような集会をする。

 私の家系は分家のようであるが、その囲む会で出てきたのが、なんと田中家由緒書きという我が家の履歴書である。

 

負けてばっかし

 驚く無かれ、由緒書きの最初は、「清和源氏の末裔」から始まるのである。

 それで、その後、この由緒書きを手がかりにしらべていったところ、先祖は近江国高島郡高島七頭の一つ、田中郷の主にして、田中城の城主とある。昨年家内をつれてその田中城、田中神社を訪れた。

 山城も山城、登るのに苦労した。琵琶湖が美しいが、こんなところに昔はすんでいたのかなあ。

 その田中城、歴史に記録上一度だけ出てくる。今の大河ドラマ「江」の時代である。信長が朝倉攻めをするときに、浅井長政に裏切られたのは皆さんよくご承知の歴史である。その朝倉攻めの際、湖西を通り敦賀へ抜ける。その際信長が田中城に一泊したと、「信長公記」にある。記録されているのだからそうなのであろう。田中家の運命はそれから暗転する。その後朝倉方についたのである。なあんという情勢判断の誤り、情報収集能力、分析力、インテリジェンス能力のなさ、私がこのときに生を受けておれば高島七頭田中家を絶対に勝ち組に導いたものを。信長方に攻められ三年後にあえなく落城、命だけは助けられ城を明け渡し一家離散、その後どう生きていたのか我が家の先祖はまたまたその浅井氏の淀君の縁で大阪夏の陣で西軍につき、大阪鴫の口の戦いにて戦死、当時懐胎していた奥様が逃げに逃げて山家の和木までとある。和木まで逃げたのはここに縁があったのだろう。

 どうも、我家はインテリジェンス能力に乏しいのか。この由緒書き、我が家の跡取りにみせたところ、一顧だにせず、

「なんや、負けてばっかしや無いか。」

 それで決まった、次の小説の題名は「負けってばっかし。」客に言わせると、いい題名ですなあ、時代を反映していますなあ。とのことである。

しかし、その後、しらべてわかった、この由緒書きもええ加減なものだ、近江の田中家は清和源氏ではなく宇多源氏ではないか。

 

そうだ、芋掘りのことを書かねば。

 その流れに流れて、100年中筋村大字延にいたのだが、30年前に父が一段奮起して田んぼをつぶして宅地にして家をたてた。その父が亡くなって、もう13回忌になる。

 その相続した父の家に付いていたのが、猫の額のような畑が二枚。その後、どうしようかと思ったが、子供の頃、貧乏な私たちの家族を支えてくれた畑だ、私の代に売るわけにも、アパートをたてる訳にもいかない、私たちを育ててくれた畑への感謝として畑としてそのまま作り続けようと決意した。

 現実に廻りは大半が住宅になってしまった。ある箇所は私の畑が入り口を扼しているために他人の奥の広大な田んぼの宅地開発ができない、そのために農地のままでのこっている。

 さてそこで、父の残してくれた畑をおもりしなければならない。

 離れた畑二枚には廻りに夏みかん、キウイ、柿の木等が育ち、私のものになってから植えた柚やイチジクなどもある。

 ある時など、近所のスーパーにいってびっくりチンキな柿が一盛り900円である。さとすれば我が家の柿は10万円はあるぞ、母さんほかしておけんわ、欲張り夫婦が気張って柿ぼりしたのは良かったが、2,3日すると肩が筋肉痛に。

 この綾部にいれば、天然の実を食べているだけで生活が出来そうな錯覚にとらわれる。

 夏みかんも親父が植えて30年近いが恐ろしほど良くとれる。最初は酸っぱいと思ったがなれてくるとなかなか良い味である。

 キウイも最初はとるのが面倒でほかしていたが、そのうち食べ始めた。なかなか枝がじゃまになってとりにくいが、それはそれで採取したキウイ達の中にリンゴを入れておくとが反応して良く熟れて柔らかくうまい。

 イチジクはスズメバチとの競争である。来週食べ頃と思っていると先にハチが食べてしまう。私は帰るのがせいぜい週一ではないか。彼等は毎日、24時間勤務でイチジクの熟するのをまつ。彼等に勝てるわけがない。

 畑に植えるのは主にサツマイモとタマネギである。サツマイモは60本、タマネギなどは400本も植える。そんなにタマネギ植えてどないするのかという人が多いが、全部成長するわけではない。

 しかし私は大きなタマネギを作るのが好きだ。

 ある年などは小さな鏡餅みたいなタマネギがぞろぞろできた。

 俺もうまくなったなあ等と悦にはいっていると、家内が、「今年は全国タマネギが豊作なんだって、NHKが言ってた。」と。

 サツマイモも私に似てかどでかいのができる。知り合いに言わせるとサツマイモは小さいのがうまくていいという。

 しかし、私はどでかいのがすきだ。

 サツマイモはもちろん秋の作物であるが、五月頃植え付けをする。その後、世話してやらないと畑が草ぼうぼうになってしまう。

 これが意外と面倒なのである。

 しかし、この畑で、仕事ができないわけではない。あまりの暑さにあぜで休んでいると近所の知り合いの夫婦がやってくる。何事かしらん。何かわしゃ悪いことでもしたのかなあと思っていると、相談に乗ってほしいという。一転我が畑で法律相談が始まる。後日またまたやってくる。この間の相談のお礼といって、新米10キロ。

 ななんと、畑でも仕事になるのか。畑で米までとれるのだ。

 ある時などは、携帯で事務所に指示をしていた。

 もっとも彼や彼女達も畑から指示が出ているとは思っていないだろう。

 悪いことはできないもので、ジャンパーに入れて自転車に掛けておいた携帯が風にとばされて小川にはまってながされてしまった。携帯は水に濡れると弱い、芋作りどころではないわ、百姓着のままDOCOMOショップへ。

店員は血相変えて飛び込んできた百姓にびっくりしたろう。

 

仕事か趣味か

 最初の頃は備中鍬で耕していたがさすがに寄る年波みには勝てなくなってやや疲れてきた。そこで家庭用の耕耘機を購入した。

何しろ、この畑、投下資本と労働力の方が多いのである。マルクスやケインズが知ればびっくりするだろう。

 ある事柄をなしてお金をもらうのを仕事といい、逆にお金を出すのを趣味という。

 所詮投下資本の方が多いのであるからやはり趣味か。

 誰も、作付けや草取りには参加しないが、芋掘り大会には遠い広島法テラスから自動車で参加する者がいる。仕事で広島まで行けといってもぶつぶつ言うのが多いだろうが、芋掘りだとそうでもないそうである。

芋掘りにやってくるのは事務所の弁護士達の子供達である。畑に入るのも初めてばかりの子ども達ではある。

もっともこの子ども達がやってこないと親も来ないから、労働力に不足するのである。

その若い母親達も、「あたし畑って初めて。」とか、「キャーミミズ、カエル」とか、そらいるわいな無農薬栽培の畑なのであるから、ミミズやカエルがいるというのは良いことやないか。

考えなくとも、若い若いといわれた私も還暦だ、イソ弁達が息子の世代だとすると、この子ども達は全部我が孫みたいな者である。

まだ足腰の立たないのもいるが、野菜好きなのもいて畑を丸裸にするつもりの子どもまでいる。

とったばかりのサツマイモを蒸かして食べるとこれはうまい。大学芋にするのも、天ぷらにするのもうまい。収穫祭の開催である。

関係者が増えてくるともっと作付け面積を増やさなければならないのだが、それにしては私もそろそろえらい。

 事務所の後継者もさることながら農業後継者も育てなければと思う。ご先祖のために。

 

 

投稿者プロフィール

田中 彰寿
田中 彰寿
弁護士法人 田中彰寿法律事務所 代表。