※こちらの記事は、2013年9月に執筆したものです。
数十年に一度の大雨で、「特別警報」がだされた。
それこそ私の三才のころ、「二十八水」と言われる大洪水があった。昭和二八年、私の三才の時のことである。
私の家族は綾部に住んでいた。当時は、 今のように堤防も十分でなかったし、福知山の由良川の一角などは建設省によって「遊水地帯」という区分けをされていたという噂もある。
もう洪水がでてもしかたがない、国家としては手の打ちようもない、遊水地帯なのだからそういうものだ、あきらめてくれというのであろう。
子供の頃には氾濫する由良川で家がドンブラ、ドンブラ流されていくのを何度もみた。
母は三歳の私を背中に負ぶって胸にはおひつに炊きたてのご飯を詰め込んで福知山の実家へバスで救援にいった。
台風はすでに通過したあとだったと思うが、今でも母の肩越しにみた由良川の濁流は忘れられない。
母が立ちすくんだ。
息を飲むとはこのことであろうか。
その記憶があるから、自分も大きくなったらお櫃にご飯炊いて救援に行くものだと思っていた。
その後由良川には立派な堤防もでき、上流にはダムもでき、いつのまにか国家社会が発展して救援は国家、公共団体の仕事になってしまった。しかし、その救援する公共機関の職員にも翻れば救援されるべき家や家族がいるのであろう。
最後は、「人間」という人と人との関係なのだろうと思う。
2013.09
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- 弁護士法人 田中彰寿法律事務所 代表。
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