丹波といい亀岡といいここらあたりの歴史は面白い。

※こちらの記事は、2013年10月に執筆したものです。

 丹波といい亀岡といいここらあたりの歴史は面白い。まずは篠村八幡宮に関わる。
 1333年、鎌倉幕府末期である。後醍醐天皇や楠木正成達の鎌倉幕府倒幕運動である。鎌倉幕府から命をうけた足利尊氏(当時高氏という)は、ここ亀岡の篠村八幡宮で挙兵の祈願をして京都の足利幕府出張所である六波羅探題をせめてこれを滅ぼす。
 高氏の生母の清子は綾部の安国寺の上杉家の出身である。高氏は将軍となってから天下取りに協力した母方の実家を関東管領にした。これが関東の上杉家の始まりであり、名跡は越後の上杉謙信にまで続き、その後 名君上杉鷹山にまで続く。
 時代はさがって、明智光秀である。本能寺の変を起こすまで亀岡も領有した。
 その戦乱で光秀とともに敗北し打ち首になった家老が斉藤利三でその子が於福/春日の局である。同じ丹波の黒井でうまれたといわれる。その後の於福殿の生涯は年配の方ならご承知であろう。家光の乳母となり、その一族も栄達する。離縁された先夫稲葉氏まで出世させる。うらやましい限りだ。
 高氏も将軍になる前も、なってからも何度も敗戦し京都から逃げる。於福にいたっては天下の大逆賊人の一族からの逆転大出世である。

 今は勝ち組とか負け組とかうるさいことだが、そんなことはきっと一生の一時期の断面にすぎないのだろう。

2013.10