いよいよ、「八重の桜」が終わる。

※こちらの記事は、2013年11月に執筆したものです。

 いよいよ、八重の桜が終わる。
 今回の大河ドラマは私には見ごたえがあった。
 それはほとんど史実にもとずいており、それが敗者の側を描いた歴史であることである。半分の主人公は山本覚馬で、明治後の京都の恩人のような人である。
 多くの役職は省くが、京都商工会議所の会頭をしており、彼の弟子には実業家で国会議員にもなった亀岡在の田中源太郎がいた。同志社大学関係の人がおおくでてきたが、亀岡に関わる者として出してほしかったなあと思うのは私だけではあるまい。

 さて、その敗者の側の歴史である。会津戦争で破れた彼らは明治新政府によって過酷な運命にさらされる。賊軍という汚名を着せられてである。歴史は勝った者によって書かれるというがまさしくその例であろう。
 それでも、会津人というのはよほど優秀であったのであろうか。陸軍少将や貴族院議員になった山川浩、岩倉遣欧使節団に加わた山川健次郎、後 東京帝国大学総長、 同じく妹で遣欧使節団、山川捨松、鹿鳴館の華と歌われる。
 不本意ながら「不如帰」の姑にされてしまう。俳優がよく演技をしたが、松平容保を演じた綾野剛も負ける者の悲しみをよく演じた。調べれば調べるほど人材が輩出する。八重役がかすむくらいだ。

 負けた側もそれでおわりではない。
 本人次第でいかようにも生きれるという歴史の見本をみせてくれたドラマであったと思う。

2013.12