誤解とはあらゆるところで多いものだと思う。

※こちらの記事は、2014年2月に執筆したものです。

 誤解とはあらゆるところで多いものだと思う。思想・文化の面でさえ誤解でなりたっているのではないかと思う。
 能役者である世阿弥の世界で「秘すれば花」という奥深い言葉がある。彼の風姿花伝にでてくる名文句である。
 私も、そして多くの人たちも、この「秘すれば花」を物事は控えめがよく、本当にいいことや、良い性格は奥深く心のうちに秘めておくことがふさわしいと理解しているであろう。いかにも目立たないことを美とし、己の分限を超えないことを社会秩序にそったふさわしい生き方だとする、いわば封建制の名残のような言葉として理解している。そして私たちはその解釈の上に生きていると言ってもよい。
 ところが、これはそうした理解ではなく、自分の秘密芸はその時が来るまで絶対に他人に知られてはならず、そうした秘密芸を持っていることさえ知られてはならない。ここぞという勝負時に一気に放出し他を圧倒し、勝利するという言う意味だと言うのである。
 孫子の「兵は奇道なり」というのと同じ理解らしい。

 多くの国民は間違って理解していたし、そしてその間違った理解の上に人生の解釈を重ねて生きてきた。
 またそうした間違った理解・解釈こそが日本の文化に受けいられ、育っていたのだと思うと不思議な気がする。

2014.02