※こちらの記事は、2015年3月に執筆したものです。
先週、ある経済団体でベトナムの経済事情の視察に訪れた。
ハノイ、ダナン、フエと訪れた。どの都市も私のような団塊の世代にとって学生時代にはベトナム戦争の激戦地であった。
ハノイは北爆を繰り返され、ダナン、フエはその都市の争奪でベトナム戦争の帰趨がきまるといわれた激戦地である。きれいに復元中とはいえ、フエの王宮の壁には当時の銃弾の弾痕らしきものがある。
そのダナンで、日本の工場の見学をした。
小型モーターの世界的企業で日本の誇る会社である。社長以下日本人4名に、なんとベトナム人2500名。これでもリーマン以降ベトナム人社員を減らしたというのである。
整然とラインに並ぶ工員の姿を見ると日本の空洞化が思い知らされる。よく円高以降日本の工場は海外へ移転したというが円高だけが理由ではあるまい。
2500名もの若い工員達を我がふるさとで集めることができるであろうか。
円高よりもまず人手がいない。
円安になったからと言っておいそれと日本に帰れるわけがない。
働き手がいないのだから。
恐るべきは、ここでも工場の自動化はすすんでいて、工場の中に自動化開発室があり、ベトナム人の手によって自動化機器の開発がなされていることである。
2015.03
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- 弁護士法人 田中彰寿法律事務所 代表。
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