※こちらの記事は、2015年8月に執筆したものです。
「牛に引かれて善光寺まいり」という言葉がある。
所用があって長野へいった。京都から行けば長野は遠い。特急で4時間半以上かかる。学生の時貧乏旅行をして以来かと感慨にふけりながら長野駅に降り立つ。もう何十年前にもなるから当然ではあるがすさまじい変貌ぶりである。中でも駅は善光寺のご開帳にあわせて今年新築完成したという。
早速善光寺参りをする。
善光寺には戒壇巡りというのがある。本堂の四つ柱らにあわせて設置されている四角の地下通路を歩くのである。電気も何もない。携帯も消すように指示されている。頼るものは通路の壁だけである。壁に頼って歩く。入って歩き始めたしばらくこそ入り口のほのかな明かりを背後に感じるがしばらくすると真っ暗になる。全く真っ暗である。角を曲がる頃になると後ろをどんなに振り返っても明かりはない。ここら当たりから人は暗闇の不安に駆られる。前後の人たちの悲鳴や子供の泣き声がし始める。お願いだ、泣かないでほしいこのおじさんだって怖いのだ。
人間にとって暗闇がいかに怖いものであるということを無理矢理にでも体験させてくれる時間だ。
思えば私たちには光がある。人はこの光にどれほど力を与えられているのだろか。
3つめの角を曲がると最後の一辺である。進むとようやく出口の光が薄くさしてくる。
やれやれ終わった。
青年の一時期には誰もが戒壇巡りをするとよい。
2015.08
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- 弁護士法人 田中彰寿法律事務所 代表。
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